詩のボクシング大会を観戦して

昨日、第12回詩のボクシング大会、及び、第4回声と言葉のボクシング大会が横浜で開催された。
私は一人電車で会場に赴き、両大会を観戦してきた。

ひと月ほど前までは大会の日程すら知らなかったのだが、ちょうどこのブログの記事を書いているときにポエトリーなどについて調べ物をしていて、「そういえばこういうイベントもあるのだな」と知ることができた。
ポエトリー、即ち詩の朗読については、生涯で一度だけ体験したことがある。昨年の東日本大震災直後の、3月下旬のことだった。縁あって知人の招待を受け、詩を一つ作って行って朗読した。

書いて読む詩と、読んで聴く詩は全然異なる。
紙面で見たときに良い詩であっても、朗読に適さないような詩もある。紙面で見た時と評価が逆転することもある。
もちろん、それは読み手の読み方に大きく影響を受ける。声のトーン、間の取り方、表情や身振り手振りなど。
なぜなら、それは一種のライブパフォーマンスであるからだ。やり方によっては、一人芝居をしたり、アカペラで歌を唄うといった演出さえも可能だ。
そういった「詩の朗読」の枠を超えた概念として、「オープンマイク」という呼称があるほどである。

そうしたわけで、このような大会を観戦することは、ふだん、現代詩フォーラムなどで詩を読むのとはまた違った刺激を得られるだろうと思った。


さて、会場は神奈川県横浜市中区にある、県民共済みらいホールというところだった。
座席数は300と、全国規模の大会にしては少し小さめな感じもしたが、立ち見もなく、席には若干の余裕もあった。
受付では、両大会のビラとアンケート用紙に加えて、ジャッジ用の団扇を渡された。一面が青、他面が赤となった団扇である。
2つの大会とも観客ジャッジ制となっており、観客が良かったと思った方の色をレフェリーに示すというルールになっていた。
両大会を通して、3名のゲストジャッジが招待されていた。漫画家の蛭子能収さん、作家の山崎ナオコーラさん、そして、FMヨコハマDJの北島美穂さんである。
また、詩のボクシング大会では、ねづっちが観客として参加していた。ある番組で選手の一人を密着取材していたそうだ。司会の注文に答えて、即興でなぞかけを披露してくれた。


2つの大会を振り返ってみて、こうまで違うかと思わせるほど、バリエーション豊かな選手・チームが揃っていたように思う。
下は小学2年生から、上は60代まで。着物あり、コスプレあり、ハロウィーンの仮装ありと、見た目の変化もさることながら、そのパフォーマンスも変化に富んでいた。コミカルな題材で勢いよく喋る者、かすれた声で静かに詠み上げる者、ラップ風のリズムに乗って振りを交えながら朗読するチームや、マイクもノートも使わずに芝居風のパフォーマンスをするチームなどがあった。

極端に言えば、ある意味では「変人の集まり」とさえ言えたかもしれない(笑)

個人戦はとてもレベルが高く、非常に面白い作品が多かった。
敗者復活特別枠選手の池上宣久さんや、ステージ版「詩のボクシング」チャンピオンのオオタニさんには、毎回笑わさせられた。
優勝した菊池奏子さんは、そのマイクパフォーマンスも相まって、独特な世界観の作品を一定して高い質で表現していたように思う。
中には「これは詩と呼べるのだろうか」と思うものもあったが、ライブという性質もあって、むしろネタに走ったものの方が高評価を得ていたように感じた。

一方で、決勝戦の即興対決には、どの選手・チームも苦労していたように思う。
即興対決とは、その場で出されたお題に対して、即興で朗読を行うというものだ。
平安時代の歌人たちは即興で和歌を詠んだというが、現代ではそういう場はそんなにないだろうし、31文字の和歌を詠むのと、3分間朗読するのはわけが違うだろう。
この点で、一番上手くやっていたなと思ったのは、声と言葉のボクシング大会決勝での、昭和歌謡曲B面チームだった。「さんま」というお題で、勢いに任せて上手く乗り切ったな、と思った。


以上、両大会を観戦して、大きな刺激を得ることができた。
いま、私は書くことを中心にやっているが、その内またポエトリーに参加してみたいな、という気持ちはある。
場合によっては、来年詩のボクシング大会に選手として参加する、という選択もあるかもしれない。

また、今回観戦しながらふと思ったのだが、これだけの質の作品が作れるのならば、路上でのポエトリーのライブ、つまりポエトリーの「路上ライブ」も十分成立しそうだと思った。
これは相当ハードルが高いが、成功させれば、詩やポエトリーの普及に一役買ってくれそうだと思う。