車内トラブル(2/2)

第1話

「ふざけんなよ、こら」
 不良男はなおもわけのわからないことを喚きながら、老夫を殴り続けた。近くにいたサラリーマンが止めようとしたが、殴られた。
 「やめて下さい」と、老夫は両手を上げて懇願したが、不良男は暴行を止めなかった。老夫の顔は真っ赤に腫れ上がっていた。
 多くの人は身動きがとれず、その場から離れることさえできなかった。
 私もそうだった。

 すると、同じように様子を見ていた橋本が、不良男に向かって動きだそうとしているのを感じた。
「どうする気?」私は彼の腕を掴んで尋ねた。
「見てられないだろ」
 橋本はそう言った。私は不安に思った。橋本はお世辞にも体格がいいとは言えない。彼が屈強な不良男に立ち向かってもどうなることか、想像に難くなかった。しかし、私にはどうすることもできなかった。

 不良男までとの距離は2メートルもなかったが、間に人が詰まっていた。橋本は苦労して不良男の後ろまでたどり着いた。電車は神泉駅を出たところだった。
「おい、やめろ」と橋本が後ろから不良男を羽交い絞めにしようとしたところ、逆に男が振り回した肘を食らった。
 橋本は鼻血を出しつつも、不良男と老夫の間に入った。
 なんだお前、などと言いながら、不良男は矛先を橋本に変えた。

 私はいても立ってもいられなくなって、夢中でバッグから携帯電話を取り出した。
 車両内が明るく光った。私は敢えてフラッシュを焚いて、不良男を撮影していた。
 一斉に周囲の視線が集まった。私は気にせず、何度もシャッターを切った。
 不良男がこちらを見た。
「なに撮ってんだ、おらぁ!」
 私は恐怖におののきながらも、努めて冷静に言った。
「この写真、ネット中にばらまいてやるよ。あんたなんか、明日から生活できなくなるんだから」
 私は更にシャッターを切った。
 不良男が喚きながらこちらに向かってくる。
 ケータイが不良男に取り上げられ、壁に投げつけられた。私は殴られると直感して、目を閉じた。

 カシャッという音がいくつも聞こえた。
 目を開けると、周囲の人たちも携帯電話を取り出し、不良男を撮影していた。10台以上のケータイが、男に向けられていた。警察に電話している者もいた。
 不良男は周りの人たちの顔をキョロキョロと見比べ、振り上げた腕を下ろした。
 電車はちょうど、下北沢駅に着こうとしていた。

(完)