車内トラブル(1/2)

「井の頭線の下りの終電にだけは乗りたくない」
 東大出身の同僚、橋本はよくそう言っていた。
 渋谷勤務になって数日も経たないうちに、私はその意味を理解した。
 特に最後尾の車両はひどく、乗車率200%どころか、300%は越えてるのではないかと思った。
 なので私は終電になってしまったときは、なるべく前寄りの車両になることにしていたが、この日は運悪く最後尾の車両に乗り合わせてしまった。

「1番線富士見ヶ丘駅行き最終電車、間もなくの発車となります」
 駅係員のアナウンスの声が響く。私は小走りで、最後尾から2番目のドアに駆け込んだ。
 乗り込んだとき、既に車内人口は飽和状態にあった。にも関わらず、私の後から更に十数人の人達が一気に押し寄せ、私は反対側のドア近くまで押しやられた。
 ほぼ完全に身動きが取れなくなったとき、すぐ近くに見知った同僚の顔があることに気づいた。
「よお、お疲れ」
 橋本だった。
 私は意外に思った。橋本は遥か早くに退社していたからだ。彼はどこかで酒を飲んでいたのか、顔が紅潮していた。

 電車の発車を知らせるベルの音が、ホームで鳴り響いた。
 そのすぐ後に、更に駆け込んできた数名の人達を乗せて、電車のドアが閉まった。
 事件は、電車が動きだした後に起こった。


「何見てんだよ」
 そんな声が聞こえた。
 最後に乗り込んできた、大柄な男だった。男は金髪で、明らかに酔っていた。その不良男が周囲の人を押しのけながら、車両の深い位置まで突き進む様子を私は見ていた。
 血が飛んだ。手すり付近にいた、初老の男性が殴られたようだ。
 私は衝撃のあまり、背筋が凍りついた。

(つづく)