「一人 Twitter 連詩」をやってみて

先日、Twitter 上で「一人連詩」なる試みをやってみました。
連詩は、本来であれば複数人で行うものですが、「小説の連載があるのだから、詩の連載があってもよいのではないか」という発想が裏にはありました。
一人で少しずつ詠んでいく、という形でも成立するのではないかな、と。

今回は「一行ずつ詠む」というルールを自らに課して、進めました。

完成した作品は既に先日、記事として投稿しています。

また、Twitter 上のつぶやきを Togetter にまとめたので、どのくらいの間隔で詠んでいたか、追うことができます。

更に、完成した作品を踏まえつつ、同じ題でもう一篇の詩を書き下ろしてみました。
こちらは連詩ではなく、手元で完成させ、若干の推敲を行ったものを投稿しています。

さて、以下、感想と考察です。

始めに要点を書いておきます。

  1. 一人連詩は成立すると思う。
  2. 敢えて間隔を空けて詠むことで、思わぬ効果が得られる。
  3. ただし、全体としてまとまった作品にするのはより難しくなると感じた。
  4. 一行という縛りはなくし、複数行ずつ(あるいは一連ずつ)詠んでもよさそう。

以下、補足します。

2 については、例えば連載漫画が読者の反応を見ながら展開を考えるような効果が典型的と思います。ただ、今回については、私が無名なことと、たぶんツッコミづらい進め方だったであろうことから、大きな反応はなかったです。
が、「一行ずつ」という制約があったので、少しでも読み手の興味を惹くために「どういう言葉を使えば、一行でもおもしろいものになるか」というのは、やや意識しました。良い言葉を使えば、若干の Fav として反映されたように思います。

一行に対しての推敲の時間は十分に取れたので(実際に推敲したかはさておき)、時間を掛けてゆっくり完成させたい作品には向いているかもしれません。

4 にも関係しますが、このことについて、一人連詩の合間に以下のようにつぶやきました。

ただし、一度発表した部分の取り返しがつかないところが、連載作品・連詩の難しい部分だと思います。
そういう意味で、3 を挙げました。

詩は、書いてみないと全体がどうなるかわからないところがあると、私は思います。
ので、連詩でまとまった作品を作るって、すごく難しいことなんじゃないか、とさえ思います。

実際、今回の連詩でも、流れに乗りつつも近視眼的な詠み方になった部分があるように思います。

最初からある程度構成が見えている、かつ、細部は書きながら考えたい、そういう作品が連詩に向いているかもしれません。

4 については、順番もあまり気にしないというスタイルもアリかもしれません。
「この詩片は作品の一部だけど、どのパートになるかは後で決める」というようなスタイル。

ひと通り「詩片」を出し尽くしてから、後で推敲してまとめて、最終版を発表する、というやり方も成立しそうな気がします。連載小説ではあり得ないことだと思うので、詩ならではと言えるかも。

以上、「一人 Twitter 連詩をやってみた」件について、レポートと、感想・考察でした。

一人連詩には、連載という形式ならではの楽しみがあると思います。
読者と楽しみながら作品を作っていければ良いのではないかな、と思ったりします。

いま連詩にしてみたいモノはありませんが、またその内トライしてみたいなと思います。