死を夢見る少女 〜最後の不死者〜 9

目次へ


 それは血痕だった。

 どこからか、カラスの鳴き声が聞こえた。見上げると一羽のカラスが、剥き出しのコンクリートのビル壁から飛び去って行った。
 十二階建てのそのビルは、完成間近で放棄されたもののようだった。ビル壁に塗装はなく、窓となるべき開口部は、ただの空気の通り道となっていた。外から見る限り、人の気配は感じられず、さながら廃墟のようだった。
 アルフは、その廃ビルの入り口付近に血痕が落ちていることに気がつき、驚いた。
 夕暮れ時だったが、注意して見ればはっきり血の跡とわかった。血はまだ、乾ききってはいないようだった。
 不気味だった。治安の良いトキワ市の街中で日常、目にするものではない。誰かがここで怪我をしたのか。そもそも、これは人の血なのか。

 血痕は、廃ビルの中へと続いていた。
 アルフは一瞬、躊躇したが、次の瞬間には建物の敷地内へと足を踏み出していた。

 廃ビルの中は伽藍堂になっていた。約十五メートル四方のワンフロアの大部屋には、仕切りもなければ、デスク一つ、電灯一つさえない。
 薄暗闇の中、埃を被ったコンクリートのフロア上に、血の跡と誰かの足跡が続いていることが見て取れた。アルフよりも少し小さめの足跡だ。年若い少年か少女のものだろうか。
 アルフは恐る恐る、血痕をたどって歩いた。広い室内は音を立てると反響しそうだった。一歩一歩、スニーカーを慎重に地面に下ろしながら進んだ。
 赤黒い血の滴は、ビル内の非常階段を上っていた。アルフは所々で、物陰から前方を窺いながら、その跡を追った。

 四階までの道のりは、運動量としては大したものではなかった。しかし、アルフがその階にたどり着く頃には、緊張による動悸から、肩で息を吐いていた。
 鮮やかな赤い血の斑点が、階段から広い部屋の中へと続いていた。
 アルフは壁際から室内を覗き見た。人影が見える。小さな人影だ。だが、西陽が射して、姿がよく見えない。その何者かは、両手で何かを抱えていた。
 その何かから漂う血生臭いにおいが鼻を突き、アルフは眉をひそめた。
 アルフの額には、冷や汗が噴いて出ていた。その汗の滴が地面に落ちるとき、なぜかアルフは心の中で、しまった、と叫んでいた。

 ぴちゃり

 鼓動が跳ね上がった。
 聞こえないはずの滴の音が、アルフの耳に響いた。それは、その人影が抱えた何かから落ちた血滴の音だったかもしれない。
 まるでその音に導かれるかのように、人影がアルフを振り返った。表情は、陰になって見えない。

 ――あなたが…………やっと、見つけた……

 人影がそんな風に声を発した気がした。
 どさりと、彼女は今の今まで抱えていたモノを地面に落とした。そのモノに既に生命はなく、まだ暖かみを残したただの物質と化していた。それがひどい怪我をした猫の死骸だと気づくまでに、アルフには随分と長い時間が掛かった。
 アルフは口を開いた。だが、喉の奥がねばついて、声の代わりに隙間風のような音を立てるばかりだった。

 気がつけば、少女が目の前にいた。
 アルフより頭ひとつ背の低い少女。血と、夕焼けで全身を真っ赤に染めた彼女は、瞳の色まで紅かった。
 アルフはその場から一歩も動けずに、立ち竦んでいた。

 少女はアルフの利き手を掴んだ。
 アルフは一瞬、抵抗しようと試みた。しかし、少女の力は、その小柄な姿からは想像もできないほどに強かった。

 少女はアルフの手を、少女自身の心臓の位置まで持って行った。

「――私を、殺してくれる……?」

 少女は静かな声で、そう言った。

第九話に続く)


『小説家になろう』掲載作品