魂のリレー(2/3)

第1話

 更に、四ヶ月後。ナムホンは熊本にいた。彼は、リストアップした「仲川薫がいる可能性がある道場」を訪ねながら、九州を南から北へ縦断していた。相変わらず手がかりはなかったが、ある道場の女将が気になることを言った。
「そう言えば、間宮さんのところの薫ちゃん、結婚して仲川っていう苗字になったんじゃなかったかしら」
 間宮薫という空手家が修めていた流派は、フルコンタクトルールの空手を実践するものだった。十六年前、彼女は全日本大会で優勝を果たし、世界大会でも上位に入賞していた。しかし、競技選手としてまだ若かったその年を最後に、公式戦の舞台から姿を消していた。
 ナムホンは女将から間宮家の住所を聞くと、礼を言ってその場を後にした。
 間宮家は大きな屋敷だった。しかし、敷地内に道場があるようには見えなかった。ナムホンが何度も呼び鈴を鳴らすと、ようやく「はい」と女性の声が応じた。ナムホンが名乗って用件を伝えると、しばらく沈黙があって、「お待ち下さい」と返事があった。
 戸が開いて姿を表したのは、老齢の男性だった。彼はただ一言、こう言った。
「薫とは縁を切った」
 そのまま背を向ける老人に対して、ナムホンは食い下がった。
「待って下さい。薫さんはどこですか。私は彼女に会いたいのです」
「知らん」と、老人は取り付く島もなかった。
 一人、取り残されたナムホンはしばらくの間、その場に立ち尽くした。どうしようもなく途方に暮れていたし、このまま諦めることなどできなかった。
 十分以上経っただろうか。再び玄関の戸が開いた。今度現れたのは、高齢の婦人だった。ナムホンは、その婦人が最初に声で自分に応対した人だということに気づいた。
 婦人は一枚の紙片を差し出した。地図だった。
「娘のいまの住所です」
 婦人がそう告げた。ナムホンは深々と頭を下げた。

 バスと徒歩で、移動すること二時間の場所に、仲川家はあった。間宮家と比べて遥かに小さかったが、道場でないという点だけは共通していた。
 小さな女の子が、家の前で遊んでいた。彼女の娘だろうか、とナムホンは思った。
「ごめんください。仲川薫さんはいますか」
 ナムホンは家の中にも聞こえるように大声を出した。
 女の子が驚いた顔でナムホンを見た。かと思うと、脱兎のごとく玄関へ駆けて行った。
 そのとき、玄関からまだあどけなさの残る青年の顔をした男性が出てきた。
「お父さん」
と、女の子が男性に抱きついた。
「あの人が、お母さんはいますかって」
 男性はナムホンを目にすると小さく会釈をした。ナムホンは小さく「こんにちは」と言って頭を下げた。
「家内は、昨年亡くなりましたが……」
と、男性は申し訳なさそうに告げた。
 ナムホンは言葉を失った。そして、足元から崩れ落ちるように、その場に座り込んでしまった。

(第3話に続く)