魂のリレー(3/3)

第1話
第2話

「あなたも、薫の教え子の一人なんですね」
 仲川薫の夫、良一はナムホンを屋内に招き入れてくれた。
 ナムホンは俯いていた。まだ、彼女が亡くなっていたことのショックから抜けだせずにいた。
「やっと、病気を克服したときだったんですよ」
 ぽつりと、言葉をこぼすように良一は言った。その言葉が、自失していたナムホンにゆっくりと届いた。
 彼女――仲川薫は、娘を産んで約一年後、鈍い体の痛みを訴えて入院した。検査の結果、大腸とリンパ節から腫瘍が発見された。進行はかなり深かったが、彼女は驚異的な回復力を見せ、二年後にはほぼ全快した。しかし、その直後に、大型車両を含む自動車四台の交通事故に巻き込まれ、帰らぬ人になってしまった。
 ナムホンは顔を上げた。目の前にいる男性が、自分よりも遥かに深い悲しみの中にいることを知った。
「彼女はいつも、命を一生懸命に燃やしているようでした」
 良一の言葉に、ナムホンは頷いた。
 彼女が世界を旅して空手を教えるきっかけとなったのは、ある一通の手紙だったそうだ。その手紙の差出人は、かつて薫が空手を教えた少女で、当時リオデジャネイロに住んでいた。空手がきっかけで、スラムの子どもとも仲良くなれたと書いてあった。『薫さんが来て教えてくれたら、みんなもっと笑顔になれるのに』その一文を見た時には、薫の決意は固まっていたらしい。
「『そのとき、出来ると思ったことをないがしろになんてできない』って、あの頃はよく言ってましたよ」
 そう言って良一は微笑んだ。
「でも、あなたを見てると、なんだかそんな彼女の姿を思い出します」
 その言葉はナムホンを驚かせた。長旅、大変だったでしょう、と良一は続けた。
 ナムホンは一つの決意を口にした。
「私も、一生懸命に生きます。そしていつの日か薫さんみたいに、世界を旅して子どもたちに何か伝えられるようになります」
 良一は、大きく頷いた。

(完)