生と負(4/9)

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 清香としては、目の前の動物がオオカミであるか否かは、ある意味どうでもよかった。
「そいつが、あの女の子を殺したんじゃないの?」
 ざわざわした嫌な予感の正体はそれだった。二日前に、幼い女の子の命を奪ったのは、この獣ではないか。清香にはそう感じられた。そして、その予感はどうやら当たっていたようだった。
 「そうだと思うよ」と、悟は答えた。
 しばらく、沈黙が訪れた。オオカミは、遠巻きに自分を眺めるだけの二人に興味を失ったかのように、地面に寝そべって欠伸をかいていた。
 清香はがさごそと鞄を探ると、携帯電話を取り出した。
「警察に電話してもいい? ここに、あの子を殺したオオカミがいますって」
 清香にとって、事態を収拾する最も手っ取り早い方法はそれだった。悟がどうしてそれをしないか、清香にはわからなかったが、清香はそのオオカミをもう見ていたくなかったし、子どもを殺しただろうオオカミが、悟の家でのうのうと過ごしているのも嫌だった。
 止める気はないよ、と悟は言った。そこで、清香が110番を押そうとした瞬間、唐突に大きな声が割り込んできた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
 清香は驚いて手を止めた。二人が入ってきた家の門から、スーツ姿の男性が一人、姿を現した。ずいぶんと慌てた様子で、清香たちの下へ駆け寄ってくる。
「君たちがそいつを捕まえていてくれたんだね。助かったよ、ずっと探してたんだ」
 私は坂下という者だ、と男は名乗った。一見したところ、三十代半ば頃の歳に見えた。坂下はまるであちこちを駆け回っていたかのように、汗だくだった。どうやら彼はオオカミの飼い主のようだが、清香は不審に思った。
「さあ、帰ろう。あ、君たち、危ないから後ろに下がっててね」
 坂下は有無を言わせない様子で、オオカミに歩み寄っていく。
「ちょっと待って!」
 清香は思わず叫んだ。しかし、坂下は振り返らなかった。清香は無理やり彼の腕を取って、振り返らせた。
「お、おい。何をするんだ」
 清香は一瞬、考えて、次のように尋ねた。
「答えて下さい。あなたがそのオオカミの飼い主なんですか?」
 坂下は眉をしかめた。
「何言ってるんだい? そいつはただの犬だよ」
 四国犬だ、と坂下は言った。四国犬はニホンオオカミに外見が似ているとされる犬で、実際に混同されて世間を騒がせたこともある。
 清香は隣の悟を見た。この少年は自信を持って「オオカミだ」と言った。彼が自信を持って言ったことで、間違っていたことを清香は過去に知らなかった。

(第5話に続く)