生と負(5/9)

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「四国犬と違うところはいくつかあります」
 悟は一歩、足を前に踏みだして、坂下に向かって語りだした。
「例えば、臼歯の大きさや足の付き方、足あとの形ですね」
 実は、オオカミと犬には、遺伝学的な差はないとされている。いずれもイヌ科イヌ属タイリクオオカミ種に属し、分類上も亜種の違いでしかない。過去に行われたDNAの塩基配列レベルでの比較では、オオカミと犬をはっきりと分けることはできなかった。また、オオカミと犬がお互いの子を作ることが可能であり、両者の間にできた子どもも生殖可能である事実を鑑みると、遺伝学的には両者は同じ動物だと見做せる。
 とはいえ、チワワと土佐犬が異なるように、タイリクオオカミと秋田犬には違いがある。それは、ニホンオオカミと四国犬についても同様である。
 悟は文献で得た知識や、実際に見聞きして確かめたことを踏まえて、その違いを語った。
「……四国犬の多くは巻き尾なんですが、その動物は垂れ尾です。そして最大の違いは、遠吠えの習性があるかどうかです。……これらのことから、その動物は四国犬ではなく、ニホンオオカミだと判断しました」
 悟の理路整然とした説明に対して、坂下は手で髪をくしゃっと掴んで、首を横に振った。
「参ったな」
 坂下は本当に困った様子で、しばらく言葉を失っていた。
「大人の事情ってことで、許してもらえないかな?」
 その言葉に、清香は腹が立った。
「人が死んでるんですよ?」
 清香のその言葉に、坂下は目を見開いた。そして、天を仰いで、ふうっと大きな溜め息をついた。
「申し訳ないけど、おじさんも仕事でね。そいつは連れて帰らなくちゃいけないんだ。それで、どうしても納得が行かないようであれば、一緒に付いて来てもらってもいいが、どうかな。それか、私が帰った後で、警察にでも何でも連絡してもらっても構わないよ」
 大人の理屈だ、と清香は直感的に反発した。そしてそれは正しかった。坂下は一見、選択肢を与えているようでいて、実は自身に有利なカードしか見せていなかった。
 しかし、「そんなの――」と、清香が口を開こうとしたとき、
「いいですよ」
と、悟は答えてしまっていた。
「悟!?」
 清香は驚いて声を上げた。しかし、悟は落ち着き払って、こう言った。
「そのニホンオオカミを造った人のところに案内してくれるんですよね。是非、お願いしたいです」
 その言葉には坂下が驚いた。いったい、どこまで知っているのか。そう言いたげな表情だった。坂下は表情を隠すかのように、口元を左手で覆った。
「……なるほど。じゃあ、決まりでいいかな」
 坂下は車を呼ぶから少し待つようにと、二人に頼んだ。

(第6話に続く)