エビル・コスチューム (3/6)

目次


 ここはどこだ。

 井の頭線の上り電車の中で、ジャック・オー・ランタンを被った男は意識を取り戻した。
 そうだ。渋谷に向かっていた。
 昨夜、デスクで一度意識を失ってから、記憶が途切れがちだった。頭がずきずきと痛む。
 男は右手でコートの中にある物を確かめた。硬い拳銃がそこにあった。反対側の内ポケットには、サバイバルナイフが収められている。
「ママ、ジャガランタンだよ」
 高井戸駅で乗り込んできた親子が、男の頭を覆うカボチャの被り物を指差して言った。
「やめなさい。……すいません、うちの子が」
 母親らしき女が男に謝る。
「……」
 無言の男の胸中で、理由もなく黒い感情が沸々と湧き上がっていた。
「ジャガランタン、ジャガランタン♪」
 ハロウィーンらしい模様のマントを着けた子供は、はしゃいだ様子でその言葉を繰り返した。
 カボチャ頭の男は、その子を睨みつけた。
「……黙れ。殺すぞ」
 くぐもった声は、はっきりとは聞き取れなかったかもしれない。
 だがその声は、車両内の空気を沈黙させるには十分だった。

 男は渋谷駅で電車を降りると、改札を抜けて左手の長いエスカレータに向かった。人混みがひどい。仮装をしている人も二、三割はいる。エスカレータ付近にたどり着くまでに、何度か人にぶつかった。
 エスカレータの降り口に長蛇の列が出来ていた。いつもなら、エスカレータの右側は通れる時間帯だが、今日は右側も人で埋め尽くされていた。
 ゆっくりと列の最後尾につこうとした男の前に、有名なゲームのキャラの仮装をした、大学生ぐらいの男子グループ数名が割り込んできた。
「……どけ」
 男の声は、男子グループの喋り声にかき消された。後方にいた一人だけが、ジャック・オー・ランタンを被った黒衣の男に気づいた。
「はあ? 何だよ、お前? ちゃんと並べよ」
 カボチャ頭の男は、その男子学生の首を両手で鷲掴みにした。
「うっ……、はな……せ……」
 男子学生の体が持ち上がった。周りの男子もそれに気づいた。「おい、やめろよ」一人がカボチャ男の腕を取ろうとしたが、逆に体当たりを受けて吹き飛ばされてしまった。
 カボチャ男は、男子学生の首を掴んだまま、エスカレータの下方に目がけて放り投げた。学生は大柄ではないが、体重六〇キロはあっただろう。その彼を軽々と投げ飛ばした男は、相当の腕力の持ち主と思われた。
「うわああぁっ!!」
 投げ飛ばされた学生と、周囲の人々から一斉に悲鳴が上がった。男子学生は、エスカレータの真ん中辺りを降っていた人たちの頭上に落下した。
「ヒロキ!!」
 男子グループの何人かが叫んだ。男子グループは、カボチャ男をなんとかしようと思ったものの、怖気づいたのか、お互いに顔を見合わせるばかりで動こうとしない。
 カボチャ男は、男子グループの真ん中を突っ切ってエスカレータの降り口に進み、これから降りようとしていた人たちの背を、思いっきり蹴り飛ばした。
 更なる悲鳴が上がった。エスカレータに密集した人々が、将棋倒しに倒れて行く。
 カボチャ男はその人々の頭や肩を、無情にも踏みつけながら、下階へと降りて行った。

 カボチャ頭の男が地上に着くころ、付近の警備をしていた二名の警官が、騒ぎに気づいて駆けつけてきた。
「そこのお前、何やってるんだ!!」
 一方の警官が、警棒を持ち、足早に駆け寄って来る。その後ろから来るもう一人は、手錠に手を掛けていた。
 カボチャ男は迷わず拳銃を懐から取り出し、パンパンと、計四発を連射した。二名の警官は、急所に被弾して即死した。
「じゅ、銃を撃ったぞ!!」
「やべぇ、こっち来る!? 逃げろ!!」
 パニックが起こった。人々はカボチャ男から遠ざかろうと、我先に駆け出した。

 ……殺してやる。こいつらみんな、殺してやる。

 男は完全に理性を失い、湧き上がるどす黒い感情に支配されていた。
 だが、それほどまで強い感情がどこから来ているのか、男に自覚はなかった。

 男の脳内に巣食った黒い影は、人間の負の感情を養分として、ゆっくりと成長を続けていた。

第四話に続く)


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