魂のリレー(1/3)

 仙台駅の東口から外へ出て、ナムホンは日本に来たのだという実感をいっそう強く持った。
 初めて彼女に出逢ってから、ずっと憧れていた国だ。十二年前、彼女がナムホンの母国を訪れ、幼いナムホン達にカラテを教えてくれた時から、ナムホンはいつか必ず日本を訪れようと心に決めていた。
 仲川薫というのが、彼女の名だった。ナムホンだけは、彼女に教わって漢字まで覚えた。諸国を旅して、子どもたちに空手を教えている、と彼女は言った。有名な空手家だったのかもしれないが、その当時、テレビも新聞も見たことがないナムホンにはわからなかった。
 「心を強く保って」と彼女は言った。
「決して自分から人を傷つけては駄目よ。でも、理由のない暴力から、身を守れるだけの強さを持って」
 ぎこちない現地語で、そう彼女は言った。その言葉はナムホンの胸を打った。国軍に銃殺された父も、地雷を踏んでしまった妹も、言われのない暴力の犠牲者だった。胸が張り裂けそうなほどの悔しさが、行き場を失ってさまよっていた。彼女はそんなナムホンの気持ちを理解し、受け止めてくれた。
 ほんの三週間ほどの滞在の後、彼女が去っても、ナムホンは空手をやめなかった。何度も何度も、教わった幾通りかの型を繰り返し練習した。いつからか空手は彼にとって、心の拠り所になっていた。

 日本での最初の三ヶ月は、慌ただしく過ぎ去った。日本語がほとんど読めなかったため、何をするにも苦労した。生活に必要な物以外、何も買わずに節約したが、二十日で手持ちの金が底を尽きた。それからアルバイトの最初の賃金が支払われるまでの十数日間は、ひどい飢えを感じながら過ごした。安心して飲める水が身近にあることが、何よりありがたかった。
 ようやく身の回りの家具や服を少しずつ買えるようになってきた頃、ナムホンは仙台市内にある大きな空手道場を訪ねた。それはもちろん、幼い頃、自分に空手を教えた日本人女性の消息を掴むためだった。
 仲川薫という名の空手家はいない、というのがそこでの回答だった。そんなはずはない、とナムホンは頑として譲らなかったが、担当した事務員は、いない、の一点張りだった。
 数日後、日本語学校の友人の紹介で空手を長年経験していた男を紹介してもらった。ナムホンは彼から、空手が多数の流派に分かれており、それらを束ねる団体も一つではないことを知った。ならば、全ての団体・流派を尋ねれば、彼女の消息は掴めるだろう。そうナムホンは信じた。
 それから更に二ヶ月が経った。しかし、ナムホンは彼女を見つけることができずにいた。少し範囲を広げて、「仲川姓で、彼女ぐらいの女性空手家」を調べ、近隣の十軒以上の道場を回ってみたが、何一つ手がかりは得られなかった。それでも、ナムホンは諦めることをしなかった。

(第2話に続く)